宗教観が変説

ようするに、本来「輪廻」というのは、仏法では、この世界で因果の法則から逃れられる存在はないということを言ったものと考えていいだろう。
しかし、実のことを言えば、その護髮水輪廻という苦痛から逃れられる方法がある。
それが悟りの境地であり、いわゆる涅槃(ニルヴァーナ)だということ。

ということで、輪廻とは、日本人の宗教観が変説させてしまった――死んだあと生まれかわるという――思想ではないようです。

では涅槃に入るといえば、どういう意味になるのか?
釈尊の本来の教えは「すべての防脫髮執着を棄てる」ということになる。
これをまた、「無明を破る」とも言っているし、「すべてを明らさまにする」、とも言っている。

簡単にいえば、無明を破るとは、自分自身がいかなる存在であり、自分がどのようにものを見て、どう認識し、判断し、行動しているかを知れということになる。
なぜかなら、そうすることによって、行いが業となって刻まれるとしても、悪事をしていなければ、悪業は積まないからだ。

基本、仏法とはそういう実践哲学なのでしょうが、日本人防脫髮は、鎌倉期までに変説されてきた宗教観に捕われてしまっているわけですね。
祈れば誰かが(神仏)が、奇跡を起こしてくれる云々とね。


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